車いす席があっても、行けない理由

完璧な車いす席があっても、そこに行けなければ意味がない。チケットが買えない、駅で動けない、人混みで進めない。アクセシビリティとは点ではなく線だ。家から席まで、そして帰宅まで。その連続性が途切れた瞬間、バリアフリーは機能を失う。途切れた線が問う、公共空間の本質。
雪下 岳彦 2025.12.19
誰でも

よく見る光景がある――車いす席があるのに、誰も座っていない。

「車いす席なんて誰も使わない。作るだけ無駄だ」 そう思う人もいるかもしれない。

しかし、空席は本当に「需要がない」からなのだろうか?

行きたい日に行けない。

抽選に外れる。

情報が見つからない。

駅で動けない。

人混みで進めない。

空席という現象は、「使われていない」のではなく、 「たどり着けない」ことの証拠なのだ。

導入|施設のバリアフリー ≠ アクセシビリティ

前稿では、スタジアム内部の公平性を考えた。

けれど、どれほど完璧な車いす席があっても、そこにたどり着けないなら、それは存在しないのと同じだ。

アクセシビリティとは点ではなく線。

家を出てから席に座るまで、そして帰宅するまで。

その連続性のどこかが途切れた瞬間、バリアフリーは機能を失う。

1|情報の壁 ― チケットが買えない

アクセシビリティの最初の壁は、「チケットを買う」という行為そのものの中にある。

・オンラインサイトがスクリーンリーダーに対応していない

・車いす席だけ、電話あるいはFAXで申し込まなければならない

・販売ページではなく FAQ に車いす席の情報が置かれている

・「お問い合わせください」だけが記されている

制度上「席は用意されている」はずなのに、実際には「情報にたどり着けない」ことで、すでに壁が立ち上がってしまう。


私はスポーツ庁の参与(2016–18)として活動していた際、

スポーツ庁が後援するスポーツイベントでは、車いす席の情報をチケット欄に明文化することを条件に加えるべきだと提案した。

これは“配慮”ではなく“設計”の問題だ。

情報にたどり着けない時点で、バリアはすでに始まっている。


さらに日本では車いす席の数が極端に少なく、抽選販売になることもある。

行きたい日を選べず、一般席に空きがあっても当日券が買えない。

つまり制度として「席は存在する」が、体験として「行けない席」になってしまう。

2|文化の違い ― 行きたい日に行けるという当たり前

アメリカでの体験は、その対照を鮮やかに示している。

私が初めてサンディエゴのペトコ・パークに行ったのは、2004年7月4日――独立記念日だった。

日本では抽選が前提のこともあるが、私はこうメールを送った。

「7月4日の試合に行きたい。車いす席を予約したい。初めて行くので、おすすめの席を教えてほしい。」

もし日本なら「抽選なので日程は選べません」と返ってきてもおかしくない。

しかしペトコ・パークから届いたメールは、まったく違っていた。

***

実際に受け取ったメール(2004年)

Dear Padres Fan,

Thank you for your interest in the Padres. I have found two seats (one wheelchair, one companion) in section 115, row 1 at $40 per seat as our best available on that day. If this suits you, please contact me with your credit card number and expiration date, either via phone or email and I can process this transaction. Thank you.

Best Regards,

(訳)お問い合わせありがとうございます。ご希望の日程で最良の席として、セクション115の1列目に40ドルの2席(車いす席1、同伴者席1)を確保しました。もし良ければ、クレジットカード番号と有効期限をお電話かメールでお知らせください。手続きいたします。

***


当日、窓口で受け取ったチケットの席は、一塁側・最前列(section 115, row 1)

壁1枚の向こうに広がる芝。そこではメジャーリーグの選手が楽しそうに練習していた。

文化の違いとは、制度ではなく体験の始まり方に表れる。

ペトコ・パーク一塁側の車いす席からの眺め(2004年7月4日・筆者撮影) オレンジシャツが筆者

ペトコ・パーク一塁側の車いす席からの眺め(2004年7月4日・筆者撮影) オレンジシャツが筆者


設備を改修するには、時に億単位の予算と長い年月が必要になる。

しかし、目の前の客をどう迎えるかという意識を変えるのに、費用も工事もいらない。

莫大な建設費をかける前に、まずメール一通、電話一本の対応を変えることから始められるのではないか。

ペトコ・パークの体験が教えてくれたのは、ハードだけでなくその「心のバリアフリー」の軽やかさだった。

***

現在、米国の主要販売サイトでは、一般席と同じ画面で「accessible seats」を選ぶだけで購入できる。

特別な証明も、煩雑な手続きもない。

誰もが同じ手続きで買えること。

それが、本当の「バリアのない体験」だ。


国内でも、チケット購入と同時に駐車場を予約できるチームが増えており、こうした実務的な改善は「行ける選択肢」を着実に広げている。

3|見えないコース ― スタジアムまでの“道”

どれほど立派なスタジアムでも、そこに至る道が閉ざされていれば、それは社会の孤島になる。

3-1|出発の時点で始まる壁(自宅 → 駅)

私は電動車いすを使っている。

雨の日には傘が差せない。

濡れることを覚悟し、滑る路面を進む。

歩道の傾斜、途切れた点字ブロック。

出発した瞬間から、既に「選ばれた人しか行けない道」になっていく。


UDタクシーも十分に機能しているとは言えない。

DPI日本会議の2024年調査では、車いす利用者の乗車拒否率は全国で約20%、地方では30%に達する。

設計と運用の溝は、ここにも深く横たわっている。

3-2|駅構内の渋滞 ― エレベーターは“自由”ではない

駅のエレベーターは少なく、小さい。

10分以上待つことも珍しくない。

ホームとの段差を越えるには事前連絡がいる。

自由に動くために、自由を申請しなければならない。

これが日本の公共交通の現実だ。

3-3|群衆という障壁(駅 → スタジアム)

試合日の駅前は、一見するとバリアフリーだが、

車いすにとっては「人の流れ」そのものが壁になる。

フクダ電子アリーナ(千葉市)は施設内の設計こそ先進的だが、

試合日の蘇我駅周辺は人の波で埋まり、車いすでの移動が困難になる。

物理的には通れる道でも、“群衆”によって通れない。これも立派なバリアだ。

3-4|移動が身体に与える負荷(医学的な視点から)

私は汗をかけない。

特に夏の移動は命に関わるリスクになる。

・体温上昇

・脱水、熱中症

・電動車いすのバッテリー消耗

アクセシビリティとは、快適性ではなく安全性の設計でもある。

4|縦の動線が断たれる ― 施設内の現実

施設内の移動もまた、大きなバリアになる。

エレベーターは少なく、小さい。

実は、移動で一番のボトルネックとなるのは、エレベーターなのだ。

実体験:RWC2019・日産スタジアム

2019年、ラグビーワールドカップ日本大会で横浜の日産スタジアムを訪れた。

駐車場は事前予約ができ、会場まではスムーズだった。

しかし、観客席への導線は一本しかなかった。

車いすで席に上がる唯一の手段が、一般客と共用のエレベーター。

詰め込んでも車いすは3台。

エレベーターに乗るまでに約1時間かかった。

試合後も同じ。列は伸び続け、1階に降りるまで再び1時間近くを要した


驚くべきことに、これは2002年日韓サッカーワールドカップでも、まったく同じだった。

十数年を経てもなお、教訓が運営に受け継がれていない。

これは個別の施設の問題ではない。

「運用を想定した設計」という視点そのものが欠けている。

5|線で設計する ― アクセシビリティ・ジャーニー

アクセシビリティは「点」ではなく「線」で評価されるべきだ。

自宅 → 交通 → 駅 → スタジアム → 座席 → トイレ → 帰路。

どこか一つでも「×」があれば、全体が機能不全になる。

制度としての提言 ― アクセシビリティ認証制度

都市全体の移動を評価する制度が必要だ。

  • 情報アクセス ― オンラインでの座席選択・購入の平等性

  • 交通アクセス ― 最寄り駅からの連続したバリアフリー動線

  • 空間アクセス ― 施設内の移動と複数の昇降ルート

  • 緊急アクセス ― 災害時の避難計画と医療対応

これらが一本の線として連続して初めて、「行けるスタジアム」が完成する。

6|データが示す「行けない理由」を、線で読み直す

少し古い調査になるが、文部科学省(2013年)調査では、

車いす利用者の57.5%が、1年間に外出を伴う余暇活動をしていない。

私はスポーツ庁の調査研究委員として、施設の外側の移動データがほとんど存在しないことに気づいた。

どこで、何が、どれほどの負担になっているのか。

線を測るデータなしに、設計も政策も変えられない。

調査対象を「施設」から「アクセス全体」へ。

これこそが、これからのスポーツ行政に求められる視点だ。

結語|連続性こそ、インクルーシブの証

車いす席を作ることは、ゴールではなく出発点だ。

本当の問いは、「そこに誰が、どうやって、たどり着けるのか」。

アクセシビリティとは、建築・都市・情報・時間の設計が一本の線としてつながっているかどうかを問うものである。

分断されたバリアフリーは、やさしさの断片にすぎない。

連続性こそが、インクルーシブな社会の証だ。

***

私にとって縁の深い、秩父宮ラグビー場とZOZOマリンスタジアムが、いま建て替えを予定している。

この二つのスタジアムには、ぜひとも最高の車いす席を作ってほしい。

視界も、アクセスも、ともに座る設計もすべてが揃った、真の公共空間として。

妻と並んで座り、同じ視界で選手を応援する。

ただそれだけのことが、私の老後の夢だ。

追伸:世界の車いす席

20年前、アメリカに留学するまで、私は日本の車いす席が「これが普通だ」と思っていた。

けれど、実際に向こうで暮らしてみると、その「当たり前」が音を立てて崩れていった。

量も、質も、配置も、チケットの買い方もすべてが違っていた。

日本にいては気づけなかったことに、初めて気づくことができた。

その体験を少しでも共有したい。

その思いから、私はX(旧Twitter)で「#世界の車いす席」というハッシュタグを使い、

国内外の競技場や公共施設にある車いす席を、写真とともに紹介している。

目的は評価や比較ではない。

車いす席が、どこにあり、どんな視界で、誰と一緒に座れるのか。

その実際の姿を、当事者の目線で可視化することだ。


最近では、観戦に出かけた知人やフォロワーが、自身の体験を投稿してくれるようになった。

体験が重なっていけば、「行けるかどうか」ではなく

「どう楽しめるか」を選べる世界に、少しずつ近づいていくと感じている。

***

出典

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