第3部 日本企業は「数から質へ」転換できているか
1.雇用率が”ゴール”ではなくなるとき
法定雇用率はここ数年で上昇し続けている。
2024年には2.5%、2026年7月には従業員37.5人以上の企業に2.7%が義務づけられる予定だ。
しかし、数字が増えたことと、「働けるようになったこと」は同じではない。
「障害者雇用」を、企業はどう受け止めているのか。
太陽の家・山下達夫理事長(四肢麻痺)は、こう語る。
「私は、雇用率という言葉が好きではありません」(1)
雇用率を満たすことが”目的”になれば、本来の問い——
「どうすれば力を発揮できるか」
という視点はかき消えてしまう。
その象徴のように、山下氏はこう続ける。
「IT企業が農園で障害者を雇っている。雇用率をお金で買うようなものです」(1)
数を満たす。
だが本業とは結びつかず、能力を活かすとは言い難い雇用が生まれてしまう。
こうした構造は、制度の中で静かに拡大していく。
その象徴的な事件が、2026年3月に表面化した。
大阪市は、福祉関連会社「絆ホールディングス」傘下の4つの就労継続支援A型事業所に対し、障害者総合支援法に基づく指定取り消し処分を下した。大阪市が不正と判断した加算金の受給額は、全国で約150億円に上る(2)。
手法はこうだ。
障害のある利用者を事業所スタッフとして半年間雇用し、就労定着の実績として加算金を取得する。
その後また利用者に戻し、同じことを繰り返す。
「36か月プロジェクト」と名付けられたこの仕組みは、制度上の条件を満たしているように見えて、障害者が「本当に力を発揮できたか」とは無関係だった。
大阪市の担当者は言う。
「制度の抜け穴をつかれた」と。
しかし問題は、抜け穴だけではない。
「数を満たすことがゴール」という発想が制度の設計に残り続ける限り、同様の歪みは繰り返される。
なお、絆HD側は「見解を異にする部分がある」として法的手続きで争う姿勢を示している。司法による最終判断はまだ出ていない。
「数」の時代が終わり、いま問われているのは「質」への転換である。
2.日本企業の現在地——“制度は整ったが、運用が追いつかない”
制度は整いつつある。だが、現場はまだ追いついていない。
毎日新聞の調査(2025年11月14日)は、現状をこう示す(3)。
・身体障害者の雇用が中心
・知的・精神・発達障害者の雇用は限定的
・ジョブコーチや産業カウンセラーが不足
・特例子会社への依存が続く
・合理的配慮は制度として整ったが、現場の運用に課題
石川准・静岡県立大名誉教授は言う。
「日本企業の障害者雇用は、法定雇用率達成を越えて、質的転換期に入っている」(3)
前向きな変化は確かにある。
しかし、それは”仕組みとしての雇用”であって、
“環境としての雇用”にはまだ届いていない。
石川氏の指摘は続く。
「合理的配慮は、本人の意思表明が前提です」
「その場で調整する仕組みであり、限界があります」(3)
つまり——
声を上げられない人の困難は、可視化されないまま残る。
だからこそ石川氏は強調する。
「事前に環境を整備する取り組みを進めつつ、個別の場面で必要に応じて合理的配慮を行う。この両者は、まさに車の両輪です」(3)
合理的配慮(事後調整)と、
ユニバーサルデザイン的な環境整備(事前設計)。
この両方が揃って初めて、人は力を発揮できる。
3.情報アクセシビリティの遅れ——“不便”ではなく”権利”の問題
物理的なバリアフリーは進んだ。
しかし、情報のバリアフリーはどうか。
石川氏は明確にこう述べる。
「情報障壁を取り除く法制度はあまり整備されていません」
「国内アプリやウェブサイトでは対応が不十分なものが散見されます」(3)
行政や企業のサイトがスクリーンリーダーに対応していない——
これは単なる使いにくさの話ではない。
オンライン手続きにアクセスできないことは、
社会参加への入口そのものを閉ざされることに等しい。
欧州連合(EU)では「欧州アクセシビリティ法(EAA)」が制定され、
アクセシブルな製品開発は義務化された。
日本には同等の義務法はなく、
国内の多くのサービスが「見える人/聞こえる人/理解できる人」を前提に作られている。
情報へのアクセスは、権利の問題である。
4.環境が変わると、働ける人が増える
これは特殊な事例ではない。
第2部で紹介した都甲守啓さんの事例が示すように、
環境を変えるだけで「働ける/働けない」の線は大きく動く。
腹膜透析を続けながらフルタイム勤務を実現できたのは、
本人の努力だけではなく、テレワークという環境の再設計があったからだ。
この仕組みを支えているのが、
千葉県の就労移行支援事業所「asokka」の倉持利恵社長だ。
「障害者雇用は福祉の代わりではなく、人材投資です。
企業の課題を解決するためにテレワークを活用する姿勢が、企業にもプラスになる」(4)
これは、山下氏の「保護よりも機会を」という理念と、深いところでつながっている。
環境の再設計は、人の能力を再発見する行為である。
5.日本社会が向かうべき方向——“声を上げられない人”を設計に含める
ここまで見てきたのは、すべて「事後対応」の限界である。
・合理的配慮は”本人の意思表明”が前提
・情報アクセシビリティは法的義務が弱く、対応は任意
・雇用率は”数”として達成できるが、環境は変わらない
石川氏は、それを乗り越えるヒントとして
「事前の環境整備」と「建設的対話」を挙げている(3)。
では、事前設計とは何か。
・会議室に字幕を標準搭載する
・採用面接で「どんな環境があれば力を発揮できますか?」と聞く
・情報発信を最初からスクリーンリーダー対応にする
・業務フローの設計段階で、多様な働き方を前提にする
これは特別扱いではない。
「誰も取り残さない」社会の仕様変更である。
6.では、どうすれば「声を上げなくても困らない社会」を作れるのか
人手による調整には限界がある。
その鍵を握るのが、AIによる”世界の側からの適応”である。
人が環境に合わせる時代は終わりつつある。
これからは、環境が人に合わせて変わる時代だ。
AIはすでに、文字を音声に変換し、画像を説明し、会話を字幕化し、
複雑な文章をやさしい言葉に翻訳する。
「支援を求める」前に、環境が自動的に最適化される世界が近づいている。
しかしそれは、技術の話だけではない。
誰がその設計を担うのか、という問いでもある。
次回は、その未来を見ていく。
参考文献
1.JBpress(2025年11月16日)
「納税している障がい者に高速道路の割引は必要なのか?」
2.読売新聞(2026年3月27日)
「障害者の雇用・離職を繰り返す『36か月プロジェクト』、不正認定された加算金は150億円」
3.毎日新聞(2025年11月14日)
「日本企業の障害者雇用は『数』から『質』の段階に 先駆者からの助言」
4.西日本新聞/Yahoo!ニュース(2025年11月23日)
「テレワークで『透析を続けながら8時間勤務』障害者雇用の新しいかたち」
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