「自信がない」という、自信
人は誰でも、「自信がなくて」とつぶやく瞬間をもっている。
テストの前、会議の前、告白の前。
胸の奥で何かが縮こまって、「やっぱり無理かも」と小さな声がする。
その声を、私たちは「自信のなさ」と呼んでいる。
けれど、よく考えてみるとおかしな話だ。
「自信がない」とは、本当に「信じられない」ことなのだろうか。
試しに英語で言ってみると、面白いことに気づく。
「自信がない」は、「I don’t have confidence」とも言えるが、
「I can’t believe I can do it」(できる自分が信じられない)という表現もできる。
「信じられない」という言葉を使っている時点で、
実は「信じる」という行為は、そこに存在している。
ただ、その信じる力が、うまく働いていないだけだ。
もう少し踏み込んで考えてみよう。
「できる自分が信じられない」人は、では何を信じているのだろう。
答えは意外とシンプルで、「I believe I can’t do it」(自分にはできないと信じている)ということになる。
つまり、自信がない人は「信じる力がない」のではなく、
「できない」ということを、かなり強く信じているのかもしれない。
思い返せば、できないと決めつけるとき、私たちは妙に確信めいている。
しかも、その確信には、たいした根拠がない。
過去の失敗、誰かの言葉、あるいはただの思い込み。
それでも、「できない」という信念のほうを、なぜか熱心に信じてしまう。
この「できない教」の信仰心の強さには、思わず苦笑してしまう。
けれど考えてみれば、できないと信じるのにも根拠がなかったのなら、
できると信じるのにも、根拠はいらないはずだ。
ただ、信じる矢印の向きを選び直すだけでいい。
自信とは、確信ではなく、方向の問題だ。
「自信がない」という言葉の中にも、「自信」という文字がちゃんとある。
足りないのではなく、まだうまく向けていないだけ。
その矢印を、ほんの少しだけ「できるほう」へ。
朝、鏡の前で「今日はできる」と口に出してみる。
根拠はなくていい。
できないと信じるのと同じくらい軽い気持ちで、できると信じてみる。
それが、自信を持つということの、いちばん優しい始まりだと思う。
P.S.
母校の順天堂大学が箱根駅伝で総合3位に入りました。
昨年は、わずか7秒差でシード権を逃し、予選会からのスタートでした。
それでも、できると信じて積み重ねてきた結果なのだと思います。
年の始まりに、素直にうれしい知らせでした。
すでに登録済みの方は こちら