「自信がない」という、自信

新しい年の始まりに、静かに矢印を整えるような一篇を。「自信がない」という言葉を英語にしてみると、小さな発見がある。足りないのは「信じる力」ではなく、その力が向いている「方向」かもしれない。2026年の最初に届けたいのは、信じる矢印の向きを選び直すという考え方です。
雪下 岳彦 2026.01.03
誰でも

人は誰でも、「自信がなくて」とつぶやく瞬間をもっている。

テストの前、会議の前、告白の前。

胸の奥で何かが縮こまって、「やっぱり無理かも」と小さな声がする。

その声を、私たちは「自信のなさ」と呼んでいる。

けれど、よく考えてみるとおかしな話だ。

「自信がない」とは、本当に「信じられない」ことなのだろうか。

試しに英語で言ってみると、面白いことに気づく。

「自信がない」は、「I don’t have confidence」とも言えるが、

「I can’t believe I can do it」(できる自分が信じられない)という表現もできる。

「信じられない」という言葉を使っている時点で、

実は「信じる」という行為は、そこに存在している。

ただ、その信じる力が、うまく働いていないだけだ。

もう少し踏み込んで考えてみよう。

「できる自分が信じられない」人は、では何を信じているのだろう。

答えは意外とシンプルで、「I believe I can’t do it」(自分にはできないと信じている)ということになる。

つまり、自信がない人は「信じる力がない」のではなく、

「できない」ということを、かなり強く信じているのかもしれない。

思い返せば、できないと決めつけるとき、私たちは妙に確信めいている。

しかも、その確信には、たいした根拠がない。

過去の失敗、誰かの言葉、あるいはただの思い込み。

それでも、「できない」という信念のほうを、なぜか熱心に信じてしまう。

この「できない教」の信仰心の強さには、思わず苦笑してしまう。

けれど考えてみれば、できないと信じるのにも根拠がなかったのなら、

できると信じるのにも、根拠はいらないはずだ。

ただ、信じる矢印の向きを選び直すだけでいい。

自信とは、確信ではなく、方向の問題だ。

「自信がない」という言葉の中にも、「自信」という文字がちゃんとある。

足りないのではなく、まだうまく向けていないだけ。

その矢印を、ほんの少しだけ「できるほう」へ。

朝、鏡の前で「今日はできる」と口に出してみる。

根拠はなくていい。

できないと信じるのと同じくらい軽い気持ちで、できると信じてみる。

それが、自信を持つということの、いちばん優しい始まりだと思う。

P.S.

母校の順天堂大学が箱根駅伝で総合3位に入りました。

昨年は、わずか7秒差でシード権を逃し、予選会からのスタートでした。

それでも、できると信じて積み重ねてきた結果なのだと思います。

年の始まりに、素直にうれしい知らせでした。

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